自己分析をどの程度やればいいのか、という質問が多くの方からあり、本気で応えたいので
恥ずかしながら私の自己分析、そのなんといいますか、私という人間がどういう人間かをみなさんに教えたいと思います。
このようなサイトやツイッターでの就活支援活動も、より多くの人間の助けになりたいと思っての行動です。自分のノウハウを引き継いで、より良い体験をしてほしいと考えています。
もちろん自己分析には正解が無いと思います。
そしてあなたの自己分析を私が完成させることは出来ません。
私は自分がなんで自分を構成する要素を為したか、今では理解できています。
参考にしていただければと思います。
実際に面接で話していた内容なども非常に多くなります。
〜自己紹介〜
私は困っている人がいると見過ごすことが出来ず、頭が考えるよりも先に身体が動いてしまう人間です。人の悩みや相談に自分のこと以上に真剣になれる事が長所と考えています。
私は小学生の時に歯列矯正を経験し、当時の歯列矯正の技術はそこまで進歩していなかったので、滑舌も悪くなり、人と話すのも躊躇われる、そんな毎日を送っていました。幸い心優しい友人に囲まれ、いじめなどは起こらなかったのですが、コミュニケーションを取りたいと思っても、一切円滑なコミュニケーションが取れないのはかなりのストレスで、人と話したくないとさえ思いました。今思い返すと本当に辛かったです。
小学6年になり歯列矯正を取り外せてからというもの、その苦痛はすぐに忘れてしまいました。
中学2年のある時、クラスで歯列矯正をしている子が軽いいじめというかイジリにあっていました。どうやら「奇異な」として取り扱われていた、そんな雰囲気でした。
私自身、歯列矯正をしていた時に「歯列矯正で注目を浴びる」事なんて本当に考えられない苦痛でした。でもそういうのを分かっているのは「歯列矯正」をしている自分だけ、ということに気づきました。その時、自分しか分かって助けられる人は居ないんだ、と自覚でき、そこに居た人たちに「自分も今は装置とかは入れていないんだけど、昔はしていて凄い大変なのがとてもわかる」「別に矯正自体は難病みたいな確率の低い特別な事じゃなくて、みんなも成長していく過程で今後やる可能性はある」ということを説明したところ、物珍しいものじゃなくて一般的なものと納得してくれました。被害者は、思春期特有の男の子だったのでその場でお礼などを言う事は無かったんですけど、その後何も苦痛やストレスを感じずに日常生活を送っているのを見てから、私はすごい嬉しかったです。
歯列矯正というある種挫折を味わった上で、
私が感じたことは「辛い事は、同じような辛い思いをした人がわかってあげられる」
「自分と同じように悩んでいる・困っている人を助けてあげたい」ということです。
矯正をしている子がいじめられているのを見て、自分が矯正している時に注目されて恥ずかしい思いをした時と重なりました。
私にとって、その場は何気ない一コマではなく、まるで自分のことのように感じられました。
人の痛み・辛さが分かってあげることができました。
目の前で困っている人の気持ちに立って考えてみると、不安や焦りというマイナスな感情で一杯なはずなんです。それを少し勇気を出すだけで取り除いてあげることが出来る。
そう考えると、いつも勝手に身体が動き出していました。
見返りは求めません。
しかし「ありがとう」と言ってくれると勇気を出してよかったと思います。
〜なぜ意味のある人助けが重要だと考えたか〜
結果にコミットする人助け、と言い換えても良いでしょう。
これはある種挫折が関わってきます。
私が15歳の頃、祖父が脳梗塞で倒れ、今でも元気で居てくれていますが、視力が犠牲になり、盲目になりました。
祖母が介護する形になりましたが、普段祖父はリビングから離れた部屋に座っていました。
もちろん祖父が声を出して、祖母を呼べばいいだけなのですが、祖父は寡黙なのでなかなか助けが必要でも声を出しません。どれぐらい寡黙かというと、足に血液が巡っていなくて壊死寸前で病院に運ばれるまで何も言わないぐらい、です。
そんな祖父の環境をどうにかしてあげたいと考え、私は鍵などを紛失しても親機を鳴らせば、キーホルダー(子機)鳴らして見つけることが出来る、そんなセットを祖母と祖父にプレゼントしました。
当時の自分は、それが最善の解決策であり、それで全て解決できると考えていました。
15歳の浅知恵なので特に責めることは出来ませんが、考えが浅かったです。
次に青森に訪れた時に、祖父と祖母はそのシステムを使っていなかったです。
その時のショックは計り知れませんね。もはや覚えていないぐらいに記憶を忘却しないと正気を保っていられないぐらいにショックでした。
その時に、「本当に意味のある人助けをしないと、かえって迷惑や気を遣わせる事になる」と気づきました。
それ以降一方的な優しさの押し付けなどではなく、相手の気持ち・立場にたって本当に意味のある人助けをしないと意味が無いとまで考えました。
私は人助けをして満足したいわけではなく、人助けをして幸せになってもらいたいのです。
それから人助けに妥協やクオリティダウンすることはやめました。
人助けにも本気です。
これはアルバイトにも活きました。
電.子/タバコ(検索避け対策)を販売するEC(Eコマース、通販)のスタッフとしてアルバイトして、不具合/担,当をしていました。
お問い合わせを全件対応していました。
その中で機械に疎いおばあさんやおじいさんから困った声で電話がかかってくるんです。
私は機械に疎い人の目線に立って、今までの電話だけのやり取りではなくyoutubeや
もちろん嫌な顔をしません。一生懸命に取り組みました。
最初は商品知識はもちろん持っていなかったのですが、お客さんのお問い合わせに真摯に真剣に取り組んでいるうちにとんでもない知識を有している事に気づき、最終的には不具合対応を全件対応するまでに成長しました。
もちろん怒鳴り散らすお客さんなどもおります。
ただ、その人も不安や焦りから態度に出ていると考えると、無視は出来ませんでした。
怒鳴り散らされ、それでも真摯に対応すると感謝の言葉をいただけました。
こんなところですかね。
私の軸・強みは、「人の気持ちが痛いようにわかるので他人事には出来ない」という所ですかね。
今回はこの程度で終わらせておきますね。
自分の中の気持ちがどこから、どの事件をきっかけに湧いてきたのか、
そういうことについて考えるのが自己分析と言えると思います。
なぜ?なぜ?と掘り下げてみてください。
必ず何かしらの要因があると思います。
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